ただの“ハチャメチャ活劇”ではないぞ
ジェイムズ・クラムリーの「友よ、戦いの果てに」(小鷹信光訳、早川書房)を読む。「さらば甘き口づけ」に登場した私立探偵C・W・スルーものの二作目である。ただし、訳者が変わったためか、「スルー」ではなく「シュグルー」になった。ちなみに、スペルはSughrue。
それにしても、クラムリーという作家は寡作というか遅筆というか。「友よ、戦いの果てに」は1993年刊行だが、前作「ダンシング・ベア」が1983年刊行なので10年ぶり。シュグルーものでいえば、「さらば甘き口づけ」が1978年刊行なので、じつに15年ぶり。
アメリカのエンタテインメント系作家というのは、コンスタントに新作を出す人が多い(出版社との契約でそうなるのかもしれない)。しかし、クラムリーはそういうことにかまわなかったようだ。もっとも、アメリカではクラムリーは「純文学作家」とされていたらしいので、エンタテインメント系作家のようなサイクルは、適用されなかったのかもしれない。
さて、前おきはこれくらい。本題に入る。
かつてはカリフォルニアをホームグラウンドにしていたシュグルーだが、いまはなぜかモンタナ州のメリウェザー(「酔いどれの誇り」「ダンシング・ベア」の主人公ミロのホームグラウンド)で暮らしている。
このシュグルーに、メリウェザー近郊に本拠をかまえるバイク野郎集団〈スノードリフターズ〉のリーダーのノーマン・ヘイゼルブルックが、妙な依頼をもちこむ。6歳のときに生き別れになった母親を探しだしてくれというのだ。
ところが、ノーマンが自分の母親だというサリータ・シスネロス・パインズという女性は、いまは実業家で共和党の大物党員でもあるジョー・ドン・パインズの妻。おまけに目下行方不明で、警察とFBIが捜索にあたっている。シュグルーは、めんどうなことになりそうだとは思うものの、久しぶりにマトモな仕事がしたかったこともあり、引きうける。
サリータが姿を消したモンタナ州のスノーウィ・レイクで、パインズ家でメイドをしていたワイノーナ・ジョーンズがサリータと親しかったという情報をつかんだシュグルーは、ワイノーナがいるらしいコロラド州アスペンへむかう。そして、ワイノーナを保護する。
ところがそれもつかの間、ワイノーナは謎のメキシコ人の一団にさらわれてしまう。ワイノーナに一目ぼれ気味のシュグルーは、ベトナム戦争での戦友フランクリン(フランク)・イグナチオ・ヴィーガとジミー・ゴーマンの助けを借りて、ワイノーナ奪還に乗りだす。この三人に、シュグルーの親友で弁護士のソロモン(ソリー)・レインボルト、ノーマン、ジミーの知り合いのローランド・バーンハート、バーンハートの友人のアーサー・カーニイが加わり(ちょうど7人になるので「まるで『七人の侍』だな」と思った)、ワイノーナを、さらにはサリータを取りかえすための戦いをはじめる。
前作「ダンシング・ベア」も銃撃戦ありで、「酔いどれの誇り」や「さらば甘き口づけ」に比べてハデ気味の展開だったが、「友よ、戦いの果てに」はそれ以上。銃撃戦はひんぱんに出てくるし、カーチェイスはあるしで、かなりハデだ。そのせいか、訳者のあとがきによれば、アメリカではこの作品を“老ランボーのハチャメチャ活劇”と茶化す声もあったという。
もちろん、「友よ、戦いの果てに」は“ハチャメチャ活劇”ではない。ハデ気味の展開の底に、「ベトナム戦争の後遺症」という重いテーマがある。
シュグルーをはじめとする7人は、みなベトナム戦争の従軍経験者だ。そして、ベトナムでの経験を引きずっている。経験の中味はそれぞれちがうが、「あの戦争はオレの流儀にあわなかった」と思っていることが共通している。そして、それが後遺症となっている。
この後遺症をなんとかするためには、「オレの流儀での戦争」をする、つまり戦争をやり直す。それしかない。メチャクチャな考えのようだが、当人たちにとっては切実なのだ。その思いが、読んでいると伝わってくる。展開こそハデ気味だが、それだけの小説ではない。
ところで、クラムリーの小説といえば、「酔いどれの誇り」や「ダンシング・ベア」などの私立探偵ミロものもある。このミロものとシュグルーもの、似ているようでいてやはりちがう。
かんたんにいうと、ミロものよりシュグルーもののほうが、ユーモラスな味が強いと思う。「さらば甘き口づけ」に登場する、飲んだくれのブルドッグのファイアボールや、「友よ、戦いの果てに」に登場する、熱帯魚店の経営者にして兵器マニアの巨漢の双子、フランクとジョーのダールグレン兄弟などを見ていると、思わず笑ってしまう。
また、「友よ、戦いの果てに」では、熱帯魚の代金を踏み倒そうとしたノーマンにたいして、シュグルーがダールグレン兄弟から借りた重機関銃で、〈スノードリフターズ〉のアジトをボコボコにしておどかす場面がある。これも、まるでスラップスティック・コメディのようで、私は読んでいて笑ってしまった。
こういうユーモラスなところもあるシュグルーものよりは、哀感の強いミロもののほうが日本ではウケるようだが、私は「泣いて笑って」が好きなので、どちらかがどちらかより上とは思っていない。とにかく、どちらもおもしろいのだ。
ちなみに、「友よ、戦いの果てに」には、ミロがシュグルーの「昔の相棒」として特別出演する(名前は出てこない)。ラストで「ミロといえばアレ」というネタを使って、ひとひねりしてくれるが、このへんも思わずニヤリだ。
| 友よ、戦いの果てに (ハヤカワ・ミステリ文庫) 著者:ジェイムズ クラムリー |
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