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2008年11月28日 (金曜日)

長口舌も三度まで?

 インドのムンバイで起きた同時無差別テロは、とりあえず収束に向かっているようだ。ホテルに籠城となれば、降伏しないかぎりは討ち死にがキマリだから、これは当然のこと。

 それにしても、100人以上の死者と30人以上の負傷者を出したこの一件、どうとるべきか。これはもう、こういうことだろう。

 オバマ次期米政権への「ご祝儀テロ」。あるいはブッシュ現米政権への「お餞別テロ」。

 爆弾ではなく小火器と手榴弾を使ったこと。おもに外国人を狙ったこと。インドとアメリカは目下のところいちおう友好関係にあること。それらを考えると、そういわざるをえない。
 今回のテロに、アメリカの宿敵アルカイダがからんでいるかどうかは、いまのところハッキリしていないようだ。しかし、テロリストたちの目がワシントンにむいていたことはたしかだと思う。

 それにしても、こういうことがあると、こう思わざるをえない。

 日本って、ホントに「テロ後進国」ね。

 テロの標的にされないというのは、ありがたいことだ。しかし、「悪い評判も評判のうち」という。テロリストから「狙う価値なし」と思われるというのは、日本という国の「意地」なり「気概」なりを疑われているということ。必ずしも自慢になることではない。

 こういうコトを書くと、「オマエはテロを肯定するのか!」といわれそうだが、じつはある程度はそのとおりだ。ただし、「目につくヤツは誰彼かまわずやっちまえ!」のイマドキ風テロではなく、「狙うは総大将今川義元ただひとり。余の者にかまうな!」の古典的テロだ。
 この点で、「無粋」なイマドキ風テロで亡くなられたりケガをされた方、およびそのご家族のご無念はお察しする。かくいう私も、親類縁者や友人知人が無差別テロで死んだり傷ついたりしたら、「ギャーッ!」だ。

 政治的なことがらを主張するための手段として、殺しを用いるのはよくない。しかし、殺し以外の手段を選べない状況であれば、やむをえないときもある。そう思う。
 したがって、私は安重根は評価に値すると思っているし、山口二矢もけっして否定しない。
 しかし、古典的テロにシンパシーを感じるとは。私は、やはり「時代遅れなヤツ」なのかなあ。

 ぶっそうな話題はこれくらいにして、ダジャレと並ぶ当ブログ名物(?)の、本の話とまいりましょう。本の話はともかく、ダジャレのほうは、じかに私を知っている人からはあまり好評を得ていないようだが。

 ジェイムズ・クラムリーの「明日なき二人」(小鷹信光訳、早川書房)を読む。「酔いどれの誇り」「ダンシング・ベア」のミロ(ミルトン・チェスター・ミロドラゴヴィッチ)と、「さらば甘き口づけ」「友よ、戦いの果てに」のC・W(チョーンシー・ウェイン)・シュグルー。この二人の私立探偵が登場する。本のオビのコピーを借りれば、「ハードボイルド・ファン、夢の競演!」だ。

 五十代半ばになったミロは、シュグルーを探してニューメキシコ州へとやってくる。五十三歳になったらもらえることになっていた父親の遺産を、銀行屋に持ち逃げされた。それを取り返すため、シュグルーの手を借りることにしたのだ。

 いっぽう、シュグルーにも彼なりの事情があった。一年ほど前、酒場のケンカに巻き込まれて撃たれ、腎臓を摘出する重傷を負った。
 そのケンカは、偶然おこったものではなく、シュグルーを殺すために仕組まれたものだった。だれが、なんのために。それをハッキリさせないと、気がおさまらない。二人は、それぞれの理由から手を組むことにする。

 シュグルーを撃った拳銃の登録者をつきとめた二人は、まずそこからあたっていくことにする。しかし、テキサス州にいたその男レイ・ララは、妻のアナ・ナバロとともに殺されていた。やはり、なにかある。
 こうして二人は、それぞれの「借り」を返すため、アメリカ西部を転々とする。アナの姉コニー、コニーが経営するモテルのバーで知り合った歌手のケイト、ケイトの姉スザンヌ。そして彼女たちの周辺にいる男たち。
 イモヅル式に関係者をあたっていくうちに、別々のものだと思っていた二人の「借り」には、共通するものがあったことがわかってくる。その共通するものとは…。

 前作「友よ、戦いの果てに」ほどではないが、撃ち合いあり殴り合いありで、メリハリはきいている。訳者の小鷹信光があとがきで述べているように、少々構成が散らかり気味なところはある。これを書くために、Wikipediaで「このミス」のランキングを調べてみたら、「友よ、戦いの果てに」と「明日なき二人」の次の「ファイナル・カントリー」は五位以内に入っていたが、「明日なき二人」は入っていなかった。たぶん、構成が散らかり気味なところがマイナスになったのだろう(ホンネをいうと、私もけっこう読みづらい思いをした)。

 しかし、これまた訳者が述べているように、場面ごとの描写や、キレのあるセリフは「おおーっ」だ。さすがクラムリー。この人の小説の場合、それを楽しめばよいと割りきればよいのかもしれない。
 ただし、読むなら「友よ、戦いの果てに」を読んでからにしたほうがよい。「友よ、~」のネタがけっこう出てくるので。

 さて、この作品、ミロとシュグルーが交互に語る形式になっている。つまり、二人の違いがわかる。

 ミロは、アタマに血が上りやすいというか、調子に乗りやすいというか、キブンに波があるというか、そういう性分のようだ。
 悪党どもに捕らえられて殺されかけるし(これを切りぬける場面は、本作のなかでも指折り)、事件のカギを握っているとおぼしい女に骨抜きにされそうにもなる(もちろん、ただメロメロにされているわけではないが)。これは、調子に乗りやすいためだ。

 いっぽう、シュグルーは、キブンに波がない。いったん決めたらそのまま押し切る。
 キブンに波がありがちなミロのケツをたたいて、ハッパをかける。あるいは、気に食わない相手とは徹底的にやりあって叩きのめさないと気がすまない。けっこう、一直線型のようだ。

 こういう、似ているようで違う二人の姿が、うまく描かれている。ちなみに、相手を呼ぶのによく使う言葉は、ミロが「坊や」で、シュグルーが「じいさん」。こういうのも、思わずニヤリだ。

 ところで、この二人、女運というか家族運というかが悪かったのだが(ミロは結婚五回、離婚四回。あと一回は離婚前に妻が事故死。シュグルーは「友よ、戦いの果てに」まで結婚歴なしだったと思う)、本作ではこれが違ってきている。

 まずシュグルー。「友よ、戦いの果てに」で恋に落ちたワイノーナの遺児レスターを養子にしている。それと、撃たれたときに病院にかけつけた、弁護士事務所の秘書ホイットニーと結婚もした(「友よ、戦いの果てに」に登場するレインボルト弁護士の秘書)。
 つまり、いまは「親子三人水入らず」。レスターとホイットニーを守るためなら何でもやりかねない、よきパパでよき夫になっている。

 次にミロ。テキサス州のオースティンで出あった、二人の子連れで離婚係争中のマリベス・ウィリアムスンといい仲になる。ただ、世話女房型のマリベスと、ミロに父親役を求める子どもたちが重くなったため、こちらは進展せず(マリベスとは友だちになれたようだが)。
 しかし、やはりオースティンで出あった、獣医のベティ・ポーターフィールドとはどうやらうまくゆきそう。そんなふうに描かれている。

 キブン屋の気味があるミロに目を向けるか、一直線なシュグルーに目を向けるか。あるいは、どちらにも目を向けるか。三つのうち、どれをとっても、じゅうぶん読ませる。

明日なき二人 (ハヤカワ・ミステリ文庫) Book 明日なき二人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

著者:ジェイムズ クラムリー
販売元:早川書房
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