祝! ちゃんどらー完全読破!
ハヤカワ・ミステリ文庫の「チャンドラー短篇全集」全4巻を読んだ。長篇はいちおうすべて読んでいるので、これでチャンドラーにかんしては完全読破ということになる。そういう人はたくさんいるから、とくに自慢にもならないが。
ちなみに、収録作品は次のとおり。
第1巻 キラー・イン・ザ・レイン
ゆすり屋は撃たない/Blackmailers Don't Shoot(小鷹信光)
スマートアレック・キル/Smart-Aleck Kill(三川基好)
フィンガー・マン/Finger Man(田口俊樹)
キラー・イン・ザ・レイン/Killer in the Rain(村上博基)
ネヴァダ・ガス/Nevada Gas(真崎義博)
スペインの血/Spanish Blood(佐藤耕士)
作品解題(木村二郎)
エッセイ「チャンドラーは世紀を超える」(原りょう【ウ冠のない「寮」】)
第2巻 トライ・ザ・ガール
シラノの拳銃/Guns at Cyrano's(小林宏明)
犬が好きだった男/The Man Who Liked Dogs(田村義進)
ヌーン街で拾ったもの/Pickup on Noon Street(三川基好)
金魚/Goldfish(木村二郎)
カーテン/The Curtain(加賀山卓朗)
トライ・ザ・ガール/Try the Girl(真崎義博)
翡翠/Mandarin's Jade(佐藤耕士)
作品解題(木村二郎)
エッセイ「一九七〇年代のマーロウ役者」(馬場康夫)
第3巻 レイディ・イン・ザ・レイク
赤い風/Red Wind(加賀山卓朗)
黄色いキング/The King in Yellow(田村義進)
ベイシティ・ブルース/Bay City Blues(横山啓明)
レイディ・イン・ザ・レイク/The Lady in the Lake(小林宏明)
真珠は困りもの/Pearls Are a Nuisance(木村二郎)
作品解題(木村二郎)
エッセイ「ハメットとチャンドラー」(逢坂剛)
第4巻 トラブル・イズ・マイ・ビジネス
トラブル・イズ・マイ・ビジネス/Trouble is My Business(佐々田雅子)
待っている/I'll Be Waiting(田口俊樹)
青銅の扉/The Bronze Door(浅倉久志)
山には犯罪なし/No Crime in the Mountains(木村二郎)
むだのない殺しの美学/The Simple Art of Murder(村上博基)
序文/Introduction(村上博基)
ビンゴ教授の嗅ぎ薬/Professor Bingo's Snuff(古沢嘉通)
マーロウ最後の事件/The Pencil(横山啓明)
イギリスの夏/English Summer(高見浩)
バックファイア/Backfire(横山啓明)
作品解題(木村二郎)
エッセイ「フィリップ・マーロウのように生きるのだ」(向井万起男)
この全集、作品が年代順に収録されている。なんだかヒネリがないような気もするが、考えてみれば、作家と作品がどう変わっていったかを知るのにはそれがいちばんいいかもしれない。
そういえば、創元推理文庫から出ていたチャンドラーの短篇集も、いつのまにか「チャンドラー短篇全集」になっていた。むかしは「チャンドラー傑作集」だったのであるが。いつのまに変わったのであろうか。これは単なるカングリであるが、東京創元社が「チャンドラー短篇全集」とタイトルを変えたので、早川書房が「あっちは『全集』といっても収録されてない作品があるけど、ウチは完全収録。だからウチのがホントの全集」というような対抗心でも出したのかもしれない。もっとも、ほかにタイトルのつけようがなかったのもたしかであろう。
さて、全4巻を読み終えての感想であるが、これまたヒネリがないが、次のとおりである。
だんだん、チャンドラーぽくなっていく。
チャンドラーの小説というのは、もちろんハードボイルドなのであるが、どこかウェットな感じがする。年代順に読んでいると、そのウェットさが強まっていくのがよくわかる。具体的にいうと、第2巻あたりでもうウェットな感じがかなり出てくる。たとえば「犬が好きだった男」とか。もっとも、第2巻でいちばん印象に残ったのは「金魚」であるが。
ついでにいうと、第1巻では「スペインの血」、第3巻では「ベイシティ・ブルース」、第4巻では「待っている」が印象に残った。「スペインの血」をのぞけば、妥当な選択というヤツであろうか。「スペインの血」は、チャンドラーの作品にしては珍しく、警官が主人公なので、そのへんが「あれっ」ということでアタマに残ったのかもしれない。ハナシ自体はけっこうお約束どおりで、ヒネリはいまひとつなのであるが。
それと、「青銅の扉」や「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」のような、ハードボイルドではないものもけっこうおもしろかった。まあ、「ビンゴ教授の嗅ぎ薬」は、受けとりようによってはハードボイルドのパロディともいえるが。
そして、全体でのイチオシといえば、これはもう「待っている」である。チャンドラーの短篇は、短篇といってもかなり長いものが多いが、これは文字どおりの短篇。しかも、ほとんど動きらしい動きがない。にもかかわらず、ちゃんとハードボイルドしている。極端なことをいえば、ほかの短篇、さらには長篇を読まなくてもかまわないが、この作品は「ゼッタイ読め」である。
ところで、「待っている」の原題は“I'll Be Waiting”であるが、この“I”ってだれなのかというギモンがある。これ、じつは三人の主要な登場人物すべてなのである。「おれは待ってるぜ」という邦題で翻訳されたことがあるらしいが、その点からいえば、これは読みちがえというものであろう。
作品以外のことをいおう。まず、作品解題。ていねいに紹介してあるのは助かったが、登場する主人公たちを「フィリップ・マーロウの原型」として見すぎているような気がした。たしかに、この全集に登場する主人公たちがいたから、マーロウが生まれたわけであるが、あまりそうマーロウにこだわらなくてもよかったような気がする。最初からマーロウを主人公として書いたものも、そうではなかったものも、それはそれで読めばよい。そういう気もする。
次に、巻末エッセイ。第1巻の原りょう【ウ冠のない「寮」】と、第3巻の逢坂剛というのは王道で、それぞれ「さすが」という感じ。第2巻の馬場康夫(ホイチョイ・プロダクションズの人で、映画「私をスキーに連れてって」の監督)も、「5人目のマーロウ役者」(ほかの4人は、ハンフリー・ボガート、ジェームス・ガーナー、エリオット・グールド、ロバート・ミッチャム)というヒネリで笑わせてくれる。
意外というか、納得というか、ともかく「そうだよなあ」と思わされたのは、第4巻の向井万起男(慶応大学医学部のお医者様であるが、世間では「女性宇宙飛行士の向井千秋のダンナ」のほうがとおりがよい。また、本人がそれを意図的に演じているフシがあるからおもしろい)と逢坂剛が、ともに「ダシール・ハメットは作品だけでなく本人の生き方もハードボイルドであったが、チャンドラーはそうではない」といっているところ。
たしかに、そういうことはいえるかもしれない。15歳年上のシシイと結婚し、彼女に先立たれてからは酒びたりの毎日だったというから、甘えん坊だったようである。
また、作家として成功はしたものの、「通俗小説の書き手」とみられることが不満だったともいう。この点、小泉喜美子(この人もチャンドラーの翻訳をしている)のエッセイによれば、「あなたのような才能のある人は、本物の文学を書くべきです」といわれて(ズイブンとオセッカイないいぐさであるが)、「私がいま書いているものが、本物の文学だ!」と怒ったという。つまり、純文学コンプレックスの持ちぬしだったわけである。こうなると、たしかにハードボイルドな生き方をしていたとはいえない。もっとも、作家と作品は別ものであるから、そのへんのことは気にしなくてよいのかもしれない。
ただし、見誤るのはよくない。そのことを、向井万起男がごくサラッと書いている。このエッセイ、かなりおもしろかった。
さて、そういうことで、しばらく続いたチャンドラー行脚も一段落した。いまは、ローレンス・ブロックの「すべては死にゆく」(田口俊樹訳、二見書房)を読んでいる。
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